神戸 三宮 センター街  メガネのマイスター大学堂
メール
神戸 三宮 センター街  メガネのマイスター大学堂 大学堂について 店舗案内 商品案内 アクセス 問い合わせ 鴨居玲について リンク
ドイツのマイスター
マイスター大学堂について
マイスター久利を祝す
谷川浩司さん
俵万智さんから
ドイツのマイスター
井手 重昭(いで・しげあき) 昭和7年東京生まれ。昭和30年、東京大学文学部社会学科卒業。同年、NHK入局。ボン(旧西ドイツ)支局長、解説委員を経て、平成14年まで昭和大学教授を務める。大蔵省関税等不服審査委員会委員、日本映画海外普及協会審査委員等を歴任。現在、現代用語検定協会副代表理事。主な著書に「ベルリン」竹内書店、「歴史がわかれば世界がわかる」自由国民社などがある。

神戸三宮の眼鏡店「マイスター大学堂」の三代目久利将輝(くり・まさてる)さんが、ドイツ・ミュンヘンでの10年の研修の末、 2005年7月国家試験に合格し、アウゲン・オプティカー・マイスター(国家公認眼鏡士)の称号を獲得しました。 日本人としては史上2人目の快挙です。一人目は将輝さんの叔父にあたる久利七男(くり・ななお)さんで、 1979年に彼はミュンヘン、ベルリン、ケルン、イエナ、アーレンと現在5校在る国立眼鏡学校の中のベルリンで取得されています。
ドイツのマイスターという称号は、難しい国家試験に合格してはじめて取得できる権威あるもので、 称号を大事にするドイツではドクターに比肩するものです。
ドクターが学理でコンセプトを作り、それをマイスターが確かな腕で製品に実現していく、 この二人三脚でドイツは第二次世界大戦の敗戦から奇跡の復興を遂げたと言われています。 ドクターはいわば学問を専門とするマイスターと言ってよい存在なのです。
 ドイツで企業を経営しようとすれば、自分自身がマイスターであるか、あるいはマイスターがメンバーの中にいなければ許可されません。 それは、その企業に新人が就職して来た場合、教育する人がいなければ次のマイスターを育てることが出来ないからです。 ドイツの店に入りますと、例えばガソリンスタンドにも、マイスター証書が額に入れられて人目の付くところに飾られています。 信頼できる合法的な店であることを示すためです。
 ですから、マイスターは高度の技術者というだけでなく、人格を備えた教育者であることも期待されています。マイスター試験には、 例えば眼鏡士の場合、レンズ局面の磨き方などの実技試験だけでなく、学理の試験も課せられます。それも物理学、生物学、 解剖学など理科系の学科の他に、憲法、商法、心理学、社会学といった社会学科系の学科試験も課せられていますが、 それはすぐれた社会人を養成するためなのです。
 ドイツでは小学校は8年間ありますが、その4年間を終了するときに、大学へ進学するか、就職するか、選択をしなければなりません。 もちろん選択は親が先生と相談しながら行います。進学組はギムナジウムという英才教育学校に移って、ラテン語とか高等数学を学びます。 学問の道への準備期間です。こちらの方もギムナジウム卒業時にアビトゥーア(大学入学資格試験)という国家試験があり、 これに合格しないと大学に入れません。
 就職組は小学校を終えるとそれぞれ職場に就職するのですが、その後も毎週2日間職業学校に通わなければなりません。 実技を職場でマイスターから教わりながら、職業学校で学科を学ぶのです。この期間をレールリンク(見習)といい3年から3年半ほどかかります。 小学校を含めここまでが義務教育期間です。レールリンクを終え国家試験に合格するとゲゼレ(熟練技師)になります。 ゲゼレになった後は、各人の都合によってファッハ・アカデミー(マイスター学校)、レアル・シューレ(実業学校)、 インゲニア・シューレ(技術者養成所)などに通いながら、マイスターの許可を得てマイスター試験を受けます。マイスター試験は、 2度失敗すると受験資格がなくなります。また初めからやり直しとなりますから、実力が備わったとマイスターに判断されるまでは受験しません。 ゲゼレのまま一生を過ごす人も
大勢いるのです。
 ゲゼレとして働いていた人がマイスターになりますと、自分で企業を経営できるほか、大企業では現場の所長になり、 給与も一気に跳ね上がります。富と栄誉を手にすることが出来るのです。そこで若者たちは大学に進学しなくても、 将来に希望を以て就職の道に進むことが出来ます。進学か就職かの選択に際して、就職を選ぶ若者は落ちこぼれなどという考えはドイツには一切ありません。
ファックス  ドイツのマイスターの話をすると、国家試験なら日本にもあるという人がいます。理容師、調理師、栄養士、看護師などみな試験があると主張します。 しかし1つ大きな違いがあります。マイスター制度が義務教育の中に包含されている、つまり国家の大きな教育制度の一環として組み込まれている点です。
 将輝さんは日本の大学を卒業したあとドイツにわたり、まずドイツ語の勉強から始め、ドイツ人の就職組と一緒にレールリンク、ゲゼレと進んでいきました。
ミュンヘンでファッハ・アカデミーに入りマイスターの道を目指したのです。ミュンヘンの学校には、初めは近隣諸国は勿論、 中国人や韓国人など多くの外国人がいましたが、途中で脱落する者が続出し、今年マイスター試験に合格したのは東洋人では彼一人でした。
 将輝さんがマイスター試験に合格した日、ミュンヘンの眼鏡士中央連盟・ゴエルト事務総長から神戸の父上、 久利計一(くりけいいち)さんにファックスが届き、「ご子息が合格され、あなたは大変幸せです」という校長の言葉も紹介されていました。 マイスター試験に合格することが、ドイツ人にとっても誇らしいことだということがわかります。
 将輝さんは、しばらくしドイツでマイスターとしての仕事をしてから、神戸に帰られると聞きました。
ドイツで磨かれた技術を見せてほしいと思いますし、同時に日本の若い眼鏡士にドイツの伝統の技を伝えて欲しいと思います。
2005年8月

このページの先頭へ
サイトマップ このサイトについて ルール